隠岐島③ ツーリングキャンプ
隠岐の島の歴史
昔は流刑地としての位置づけがあった
隠岐は、奈良時代から遠流(おんる)※重い島流し刑の地として利用されました。
特に高貴な身分や政治犯が送られる傾向が強く、理由は以下の通りです。
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本土から遠く、逃亡困難
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人口が少なく、監視しやすい
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一定の生活基盤(農耕・漁業)があり、生かしておくには十分
島前と島後の流刑の違い
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島後
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政治犯や身分の高い人物が多く送られました。
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有名なのは鎌倉時代の後鳥羽上皇(承久の乱・1221年)。配流先は島後の浦郷付近。
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島後は行政機構や監視体制が整っていたため、重要人物の幽閉に適していました。
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島前
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より軽い罪や庶民レベルの流刑者が多かった。
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島前は島々が分かれているため、流刑者は島単位で隔離され、地元の漁や農作業に従事。
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小規模な共同体ゆえ、逃亡や不審者をすぐ発見できた。
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